『みにくいアヒルの子』の教訓は?3歳児に適切なの?
3歳のムスメの子育て真っ最中な、36歳です。 毎晩一応本を読んでから寝かせています。そんな読書中の感想です。
昔なじみの童話、読んでいて、子どもへのメッセージはなんだろうと考えながら読みますが、なにか違和感を感じることはありませんか?
今日は、昔からあるお話、『みにくいアヒルの子』についてです。
内容は皆さんご存じの通りだと思いますが、アヒルの子だと思って生まれたら、他のアヒルの子と容姿が違っていていじめられた。でも実は白鳥で、他の白鳥と幸せに暮らしました、というお話です。
子どもの頃は、いじめられてかわいそうだな、がんばれば報われる、といった解釈をしていたように思います。この話が掲載されていた子ども向け雑誌にも似たようなコメントがありました。
ただこれ、最後の展開の解釈が難しいと感じたことはないですか?
素直に読み取れる教訓はなんでしょうか?
子どもの、冒頭のシーンへの「なんでいじめられてたの?」という問いに対しては、「みんなと見た目が違ったからだよ。それだけでいじめるなんてひどいよね」と説明できます。
じゃあ、なんで白鳥だったの?
これは白鳥のお母さんが間違ってアヒルの巣に卵をいれてしまったから、でクリアできます。
じゃあ、なんでアヒルの子は白鳥と仲良くなれたの?
ここでつまづくのです。
解答1.実は白鳥だったから。
これが一番すぐ思い付く解答です。
ただこの解答、「じゃあ白鳥じゃなかったら仲良くなれないのか」という問がきたときは答えられないのです。では、他に解答はないか。検討しました。
解答2.白鳥が優しかったから。
これは少し意思の入った解答になります。
でもこの白鳥たち、アヒルの子がアヒルのままだったらはたして優しく迎え入れたでしょうか。
答えは書いてありませんが、恐らくノーだと思います。
つまりこれもいまいち。
解答3.アヒルが頑張ったからいいことがあった。
質問に対する答えになっていません。
ただ一般的にこのお話の教訓とされるのはこのメッセージです。
でもちょっと待ってください。
アヒルの子が、本当にただのアヒルだったら。
綺麗になるわけでもなく、自由に飛べるわけでもなく。
そうだったら、暗く一生を終えていたんでしょうか?どんなに頑張っても?
うがった見方をすれば、「同じ種類の動物(人間)は同じ種類の動物(人間)としか仲良くなれないから、頑張って自分と同じ人種を探しなさい」、とも読み取れます。
この話、実は人種差別を肯定した話だったりして?
『みにくいアヒルの子』はアンデルセン童話。19世紀のヨーロッパだったらそういうメッセージもあるかも知れません。
昔なじみの童話でもよく考えないと、子どもに教えたくない意図が読み取れてしまう、と感じた一冊でした。
もちろん、深読みの屁理屈かもしれませんが。
※アンデルセン自身は非常に貧しい育ちで、苦労を重ねたようです。その体験を「みにくいアヒルの子」に重ねただけかもしれません。手に入れる幸福の象徴は見目麗しい姿と自分の本当の居場所という解釈もできます。